山神峠から檜岳山稜
2011.03.05
玄倉バス停 -- 蕗平橋 -- 山神峠 -- 伊勢沢ノ頭 -- 檜岳 -- 雨山 -- 雨山峠
-- 寄バス停
後半(山神峠〜寄)を見る
【注意】 蕗平橋から山神峠は落石が多かったのですが、地震後はさらに危険になっているかもしれません。
歩行距離:約14km / 累積標高:登り約1050m、下り約1100m マーカーの位置は山神峠
【時間の記録】 玄倉バス停 蕗平橋 山神峠 伊勢沢ノ頭 檜岳 雨山峠 寄バス停 |
08 : 17 発 09 : 14 着 - 09 : 26 発 10 : 39 着 - 10 : 49 発 11 : 47 着 12 : 19 着 - 12 : 59 発 (この間30分ほどロス) 14 : 47 着 17 : 02 着 |
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たまには使ってみるかと、1年以上も放置していた腕時計を手にしたのが運の尽きであった。5分以上遅れていたその時計のおかげで、予定していた電車を逃してしまい、新松田7時20分のバスに間に合わなくなった。H隊員に次の便まで1時間以上も待ってもらうのは悪いし、今回のコースは出発が1時間遅れると時間的な余裕がなくなってしまう。やむをえず、最終手段をとることにした。東海道新幹線である。丹沢に新幹線なんて贅沢すぎるという批判の声も聞こえてきそうだが、新幹線に乗ったほうが早く着くほどの遠方から足繁く西丹沢に通っていることを、むしろ褒めて頂きたいものである(笑) 品川駅で6時34分のひかりに乗った。あたりまえだが新幹線は速かった。都内を走っている間、丹沢は雪で白くなった北東側の斜面を見せていたが、ふと気が付くともう相模川を渡るところで大山が近くに迫っており、南側の斜面は雪がなくて黒っぽいな、などと思っているうちに小田原に着いてしまった。小田原での乗り換え時間は5分間。慣れない駅でモタついて小田急に乗り遅れてしまっては、せっかくの新幹線代が水の泡である。細心の注意を払って小田急のホームへ移動、7時7分発の急行に乗り継いだ。 |
新松田で西丹沢行きのバスに乗るところでH隊員と合流。バスは玄倉で降りた。この日は玄倉商店への新聞の輸送もなく(これは日曜日だけの仕事なのだろうか?)、バスは我々二人だけのために玄倉に寄り道してくれたようなものである。 8時17分、丹沢湖ビジターセンター前を出発、まずは山神峠を目指した。 |
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20分ほど歩くと、車止めのゲートが現れた。自動監視カメラで監視中と書いてある。 | ||
たしかに、カメラらしきものが設置してある。 | ||
しかし、そのケーブルの先端はご覧の通り。 そもそも日本人は、本気で人を監視しようなんて思わない民族なのだろう。受験生がYahooに投稿した事件だって、本当はみんなどうでもいいと思っているのかもしれない。 |
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林道はクネクネ曲がっていて、場所によっては丹沢湖と富士山が見えた。 | ||
ミツマタの花が咲き始めていた。写真は花を上に向けて撮ったもの。 空気は冷たいが、日に当たりながら歩くと体は温まってくる。花粉もかなり舞っているようだ。H隊員もここ数年、症状がでるとのこと。ぼくは花粉歴20年以上を誇る。(誇ってどうする) |
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玄倉から1時間ほどで、蕗平橋に着いた。なかなか立派な橋である。橋の上には少し雪が残っていた。 |
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蕗平橋の手前から小菅沢沿いの登山道に入った。道標にはユーシンまで6.3kmとある。 | ||
蕗平橋からの小菅沢沿いの登山道は、とんでもない道であった。雨(あるいは雪)のあとのせいか、落石が頻発。常にどこかでカラカラ音がしている状態なのである。(ちょっと大袈裟だが) 登山道に入ってまもなく、H隊員の1〜2mうしろを10cmくらいの石が転がっていった。斜面が急なので相当なスピードである。そのあと、こんどは僕の股下を5cmくらいの石がすっとんでいった。まったく油断のならない道である。 写真は左手(右岸)の斜面を見上げたところ。写真でみると、どうということはないのだが…。 やがて、登山道が土砂に埋まっているところがあった。右側の崖は高さがあって、落ちたら死にそうである。しかし、土砂の上にしっかり踏跡があって、通ってみると特に危険ではなかった。 注意:このあたりは地震後、危なくなっているかもしれません。 |
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しばらくすると、また崩落地に出た。こんどは登山道が完全に消失している。だが、ここも迂回路(巻き道)が出来ていて、特に問題なく通過できた。 |
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そして、崩落地を通過して後ろを振り返った時である。たったいま歩いてきた所に、10cm以上ありそうな石が2つ並んで落ちてきたのである。これはシャレにならない。本当にこの道は、雨や雪のあとは避けたほうがよさそうだ。 |
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蕗平橋から1時間あまり、山神峠らしきところが見えてきた。 | ||
10時39分 山神峠 この祠はいつごろできたのだろうか。 峠にはベンチがあったので少し休憩。この頃になると、花粉によるくしゃみ、鼻水、目のかゆみが、いよいよ激しくなってきた。 |
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後半に続く |